拡張現実について妄想してみる

2008年11月16日/ その他

拡張現実(AR)の技術がすごいことになっている。
私が言うまでもないことだけれど、ちょっと前から話題のセカイカメラとか、


こんなAR技術とか、


関連の動画や記事などを一人もっそりと見ていると、わくわくして誰かの肩をぽんっと叩きたくなる。その人が振り向いたら、やたらとてかてかした顔で相手の当惑を気にすることもなく微笑みたくなる。文明開化ですぜ、旦那、と出鱈目に喜びたくなってしまう。そのぐらい、すごいことに思えるのだ。
ただ、残念なことに、技術的な知識が全くない。なので、こういった情報を知っても、低級サイバーパンクな妄想ばかりが膨らんでしまう。電車の中でついにやにやしてしまうぐらいに。
とまれ、ひとまず技術云々はさておいて、拡張現実についてちょっと考えてみたい。

まず、拡張現実について簡単に説明しておこう。といって、ろくに知識もない私が説明してもしかたがないので、ウィキペディアを引用すると、こんなふうに書いてある。
拡張現実(かくちょうげんじつ)とは現実環境にコンピュータを用いて情報を付加提示する技術、および情報を付加提示された環境そのものを示す。英語表記はAugmented Reality 、省略形はAR。バーチャルリアリティと対を成す概念。強化現実とも呼ばれ、現実の環境(の一部)に付加情報としてバーチャルな物体を電子情報として合成提示することを特徴とする。

「現実の環境(の一部)に付加情報としてバーチャルな物体を電子情報として合成提示することを特徴とする」というのは、ドラゴンボールのスカウターを思い浮かべるとわかりやすい。メガネのようなフィルターを通して現実を見ると、「この店うまいよ」とか「駅行くならこっちが近道」とか、そんなコメントが表示されたり、情報を検索できるようになる、とか、そういうことだ。たぶん。
今はPCとか、セカイカメラのiphoneとか、既存のデバイスで実験している段階で、メガネ型にはまだ時間がかかりそう。ニコンからUPというのが出ていてイメージは近いけど、これは拡張現実とは今のところ関係ない。たぶん。
ただ、どのくらいの将来の話かはわからないけど、もし拡張現実がぶわーっと広がっていくとしたら、いずれメガネ型もでてくるだろう。それこそ『電脳コイル』の電脳メガネのように(ってこのアニメ、ろくに見ていないのだけども)。ただ、さらにそこから進めば、メガネ型ではないものも出てくる気がする。

それはどんなものかといえば、コンタクトレンズ型だ。

単純に、メガネをかけたくない人だっているだろうな、と考えて思いついただけで、電源はどうするとか、そういったことは一切考えていないけれど、コンタクトレンズ型を思いついて、これはいいかもしれない、と思ったことが二つある。
ひとつは、現実/拡張現実の切り替えの方法だ。四六時中拡張現実を見ていたら疲れちゃうだろうから、ふつうの現実の景色を見ているときと拡張現実を見ているとき、どういうふうにコンタクトレンズで切り替えるか、ということだけど、メガネ型なら、スカウターみたいに脇のボタンを押す、ということになるだろう。
コンタクトレンズ型の場合はもっと魅力的だ。ウィンクで切り替わる(ようにする)のだ。
すると、誰もが知っていながら恥ずかしくて日常ではあまり使わない「ウィンク」を、堂々とできるようになる。もちろん、そんなことに情緒的なメリット以外はあまりないし、実際やってみると、ウィンクというよりチック症のような感じもするけど、ウィンクでスイッチが切り替わる、というのは、やるのも見るのも楽しい気がするのだ。
たとえば、こういうことがおきるかもしれない。乗っている電車が停車駅に停まる。すると、乗り込んで来る人たちが、一斉にウィンクをする。「ちょっと暇」になる瞬間、人はウィンクをするようになるわけだ。もしかしたら美女が男に向かってウィンクをするとき(そんなの現実には見たことないけど)、その美女は二重の意味で男を試していることになるのかもしれない。

もうひとつは、コンタクトレンズ型だと、傍目には、拡張現実を見ているように見えないということだ。おそらく、メガネ型が浸透した世界では、メガネをかけている人とかけていない人の意味がぜんぜん違うものになってしまうだろう。すると、メガネをかけている人に見られると自分の情報をつぶさに読み込まれているような気がして、なにかいい気がしない、ということが起こりうる。その点、コンタクトレンズ型は見た目には変わらない。
これはすごいことになりそうな気がしている。なにせその人が何を見ているのか、さっぱりわからないのだ。隣にいる人、目の前の人、その人は同じ景色を見ているようで、まったく(とは言わないまでもその人の嗜好にあわせてカスタマイズされた)景色を見ていることになる。たとえば、マーケターは目に入る商品の情報を浴びるように見続けるかもしれないし、キャリアウーマン風の女性が実は「ウェブカレ」の拡張現実版に見とれている、なんてこともあるかもしれない。今のニコ動ユーザーに近い人たちは、「現実」につけられたコメントを見て、にやにやしているかもしれないし、突然「ちょwww」と言いながら街中で笑い出す人が出始めるかもしれない。うっかり神コメントが目に入ってしまい本当にコーラを噴出す人が出てきたら、それはちょっと嬉しい。

もちろん、拡張現実がなくても、こういった妄想は皆日ごろから行っていることだとは思う。電車の中でちょっとした妄想ににやにやしそうになって、あわててしかめ面をしたりコンタクトがずれたふりをして誤魔化そうとしたりしている私のような人間は山ほどいるのだと思う。
ただ、拡張現実の世界が開けると、「にやにや」はあたりまえのことになるかもしれない。妄想をしてうっかり笑いそうになったとして、それを止める必要はなくなるかもしれない。なにせ妄想は共有化されるのだ。電車の中では、それぞれがそれぞれの瞳に映る世界に笑い、あるいは泣く。「電車の中で化粧」どころの騒ぎではなくなる。そんな世界がディストピアなのか、それともユートピアなのか、それはさっぱりわからない。

ただ、電車の中のにやつきには、立派な理由ができる。これにはもう、にやにやが止まらない。それは確かだ。確かなのだ。

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